本日の読書

「草にすわる」(白石一文
草にすわる
読んだ本さ行
これもやはり、なんとなくイライラするような主人公。
小説はやはり楽しめるのが好きだ。
しかし

わたしのまちがいだった
わたしの まちがいだった
こうして 草にすわれば それがわかる

という詩は印象に残る。
よし、私も草にすわってみよう。
そして、2つ目の「砂の城」から。

……やがてその固まりは一つの言葉となってくっきりと重い意識の海の中から浮き上がってきた。
――ありがたい。
 なんとありがたいことだろう、ありがたい、ありがたい、ありがたい、ありがたい。矢田はいつのまにか心の中でその一言のみをぶつぶつと呟いていた。

(196ページ)
そして、このあと続く震えなどは、似たような体験がある。
少し違うが、自分は海の中にいる魚なのだ、とイメージしたときに訪れた。(小林正観さんの本にあった「海の中の魚」から)
あの震えるような喜びをもう一度味わってみよう、とあれから何回もイメージしてみたがあれきり来ない。
そういうことは一度だけでいいものなのだろうか。
やはり究極の言葉は「ありがとうございます」であった。(たぶん)